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みんな違ってみんないい

桐生市の小学校の6年生の女児がいじめによる自殺。とニュースに掲載されてから連日のように新聞やテレビ等で報道されるようになった。当初は学校側がいじめの存在を認識していないということで調査を開始して、しばらくしていじめがあった。

しかもその学級は学級崩壊していたというのである。学校側に責任を問われるのを恐れたこともあるのだろうが、もう少し前向きにいじめのことを公表してもらいたかった。いまだにいじめが自殺の原因であるとの認識を示していない。その辺の学校側の態度が問題視されている。

 そんな折、私が授業を持っている短大の授業の中でこの問題を取り上げてみた。学生にこの事件を知っているかと質問したところ、ほとんどが知っているとのこと。そこでこの事件について学校側の態度はどうか、実際にいじめにあったら自分たちはどのような対応をするのか。いじめを見かけたらどのような態度を示すのかを3~4人のグループで話し合ってもらった。だいぶ真剣に話し合う姿が見られた。

その後「どうしたらいじめはなくなるのか」と質問したところ「いじめは絶対になくならない」と確信をもって返答した学生が数人いた。 「どうして?」と聞き返すと「自分たちと考えが違ったり、することが違うと一緒にいたくない」「どうして自分たちと違うと一緒にいたくないの?」そうすると「面倒くさい」「一緒にいると疲れる」などの返事が返ってきた。

「どうして自分たちと違うと、疲れたり面倒くさかったりするんだろう?」

そうすると少し考えてから「自分のことを中心に考えると、違う人たちとは一緒にいたくない」と返事が返ってくる。ここぞとばかりに「それって自己中心的に考えているってこと?」と質問すると学生は黙ってしまった。

 最後にこんな話をした。 「保育の中ではいろいろな考えや個性を持った子どもたちがいる。その中で保育者が自分と違うから一緒にいたくないとか面倒くさいとか言っていたらどうだろう?幼稚園における教育とは子どもたちの個性を大切にしながら一人一人が意見を出し合って協力をしながら遊びを作り出すことで、協調心を身に着け協力することを学んでいくんだよ。一人一人の違いを認め、保証していくのが保育だよ。」 

 保育の勉強を勉強をしている学生たちだからこのような話ができるが、多くの子どもたちにこのような考えが浸透しているのではないだろうか。

金子みすずさんの詩の中に「みんな違ってみんないい」という詩の一文がある。その言葉は学生たちもみな知っていた。

しかし、なぜ違いを認めようとしないのだろう。

日本の教育は幼い時から、「みんなと同じことをすることがいいこと」という考えがあるような気がする。同じ考えで、同じクラスで、同じ給食で、同じ制服で、同じ持ち物で、同じ行動で、同じ同じが多すぎるような気がする。その中で人と違う行動、違う考え、違う服装などがあるとはじかれてしまう風潮はないだろうか?

みんなと同じなら安心できるけど、みんなと違うと気になってしまう。一人一人の違いを受け入れ認めあいながら生活できたら、いじめ問題もなくなっていくのかなと考えるこの頃だ。

「みんな違ってみんないい」この言葉の意味をもう一度しっかりと捉えなおしていきたい。

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